日本生態学会の新賞

第70回日本生態学会大会(仙台大会)の総会で、生態学会の新賞が認められました。

この新賞に関しては、昨年(2022年)の3月に提案した後、生態学会の理事会で議論して頂きました。関係者の皆様には感謝申し上げます。また、宮下先生(東大)、辻先生(琉球大)、近藤先生(東北大)には、最初の提案段階から相談にのってくださり感謝申し上げます。

この新賞を提案した意図を理解して頂ければと思い、以下に新賞提案の文書を公開します。

生物多様性に関する記載研究を推進している会員を表彰する新たな賞の提案

久保田康裕(琉球大学理学部・株式会社シンクネイチャー)

新賞の提案の背景

私たちの研究チームでは長年にわたり、全球と日本の自然史情報を稼働化し、生物多様性のパターンを可視化するプロジェクトを行ってきました。その過程で、私たちが認識したことは、国際的に見た場合の日本の自然史研究の歴史と層の厚さでした。日本には、地域の自然史に関わる研究者(市民を含む)が存在し、膨大な数の生物情報が丹念に記録されてきました。私たち研究チームは、その情報を“生物多様性ビッグデータ”と命名し、日本におけるマクロ生態学と生物多様性の保全計画を推進してきました。

一方で、私たちのプロジェクトの過程において、記載的な研究が劣化していく傾向も確認できました。私たちは、日本における記載研究の活動史の素晴らしさに感動すると同時に、その将来を悲観しました。生態学の研究者ならば、記載研究の重要性に疑問をもつ人はいないでしょう。けれども、近年の基礎研究を取り巻く情勢からすると、記載研究が十分に評価されにくくなっており、研究予算も得にくくなっていることも事実です。現状のままだと、生態学の裾野は急速に脆弱になると予想されます。私たち研究者も、基礎研究の重要性を標榜しますが、「選択と集中の軛」のため、基礎研究の持続可能性を必ずしも担保できない現状もあります。私たちは、このようなジレンマ、閉塞的な状況を少しでも改善できればと考えるに至りました。

こうした現状を解決する一つの手段は、従来とは異なるセクターから生物情報に関する基礎研究を行うための資金を誘導する仕組みをつくることです。私たちは5年ほど前から、生物多様性保全科学の研究成果を社会実装するためのビジネスモデルを構想し、3年前に株式会社シンクネイチャーを起業しました。この背景には、生物多様性が自然資本として認知され、自然環境の保全が社会的な共通認識になる機運がありました。実際、昨年くらいから民間企業でも大きな変化がありました。日本の企業も、生物多様性の保全と再生に積極的に貢献すべきという考えが主流化しつつあります。今まで、生態学や自然環境の保全とは最も縁遠い立場だったビジネスセクターが、それぞれの事業インパクトを評価し、ネイチャーポジティブアクションを推進するために、生物多様性に関わる基礎情報に関心を寄せるようになりました。つまり、基礎研究の不可欠性が認識される状況になったのです。

自然史研究の先達が積み上げた記載研究が、“生物多様性ビッグデータ”となり、自然環境の保全と再生を推進する基盤情報になるのです。おそらく、各地で記載研究を地道に行った先人たちは、自分たちが収集した情報が、このように稼働化され活用されることは、想像していなかったかもしれません。しかし、各地の先人研究者たちは、自分たちが調査観察している豊かな自然が、未来へ引き継がれていくことを願っていたはずです。先人研究者が築いた知的財産である生物多様性ビッグデータを基にした分析で自然環境の保全に貢献し、さらに、記載研究をも持続可能にできれば、これほど素晴らしいことはありません。したがって、生物多様性ビッグデータを活用した保全再生事業の収益(本当に微々たるものですが)を、生態学の源泉である基礎的記載研究の推進に役立ててもらいたいと考えています。

新賞のスコープと原資と賞金について

以上のような趣旨で、生物多様性に関わる記載研究をおこなっている方(グループや団体含む)を賞賛し、裾野を広げるという趣旨の新賞を提案させて頂きます。このような、研究者企業による寄付を原資とした授賞が、研究者お互いを支え合うというメッセージになり、生態学の裾野が広がることも期待しています。

具体的には、10年間の授賞を想定した賞金(200万円程度)を、シンク・ネイチャーから生態学会へ寄付します。生態学会においては、この寄付金を原資にして、生態学の基盤になる記載研究をやっている方を、毎年2名(団体)程度(1名10万円程度の年20万円の賞金を含めて)授賞することを検討していただきたいです。

賞の評価軸

一般論として、学会の賞は被引用件数等のindexを基にした論文業績主義になる傾向があります。近年では、データペーパーのジャンルも確立され、記載研究ですらデータ規模などのインパクトが重視されます。一方、フィールド生態学の源泉となる、一例記載的な研究、マイナーな分類群に関する古典的な記載研究、生物の分布や生活史に焦点を当てた地道な研究を発表する場は、少なくなっているように感じます。皮肉なことに、記載研究ですら規模が求められ、大きな大学や研究機関の研究者でないと評価されにくくなっています。したがって、生態学会会員で地道に記載研究を継続している人に光を当てる意図から、従来的なindex等にとらわれない観点、例えば、同好会誌、紀要、標本目録、ウエブなどで公開され、生態学的に重要な基礎データとして広く利用可能な情報を提供している会員にたいして授賞を行っていただきたいです。

余談

賞の名前については、色々と議論になりました。ある先生は「久保田賞」でいいのではとも言われましたが、それは固辞しました(苦笑)。企業名を冠した「シンク・ネイチャー賞」という案もありましたが、企業名には拘らず生態学会で適切な新賞名を決めて頂きたいとお願いしました。結果的に「自然史研究振興賞」という名称で、新賞の趣旨を反映したものになったと感じております。