

生物多様性クレジットと金融機関の役割(ファイナンスシリーズ第2回)
執筆者:Tsuyoshi Hatao
生物多様性クレジットとは
生物多様性クレジットは、保全・修復・再生活動による生物多様性向上への資金面での貢献を可能にする手段です。この仕組みは、地域規制によるオフセット(損失補填)の手段として始まりました。オフセットが規制対応を目的とする一方、生物多様性クレジットはその目的を超え、生物多様性向上そのものを目指した資金調達手段として発展しています。
自然関連クレジット全般の中では、カーボンクレジットが先行して市場を拡大しました。温室効果ガスは排出量という単一指標で評価可能であり、セカンダリー市場での取引が容易なため、排出削減を目的とした市場が形成されました。一方、生物多様性は地域ごとに状況が大きく異なるため、有効なオフセットは限定的であり、購入者の動機も規制対応に留まらず、ESG評価向上や自然資本リスク管理など多岐にわたります。
生物多様性クレジットは、バリューチェーン全体で自然資本リスクに対応するための手段としても注目されています。企業や投資家がこのクレジットを活用することで、生物多様性保全活動への積極的な姿勢を示し、持続可能な社会への貢献をアピールできます。ただし、その価値評価の難しさやオフセットとしての限界から、排出権のような活発なセカンダリー市場には至らないと考えられます。
生物多様性クレジットの現状
2025年現在、世界では数十件の生物多様性クレジットプロジェクトが展開されています。これらのクレジットは一般的に、一定期間における単位面積あたりの自然資本の増加を指標とし、厳格な検証を経て発行されます。例えば、オーストラリアのGreenCollar社が開発したNaturePlus Credit Schemeは、持続可能な放牧地や森林再生地などを対象とし、1ヘクタールあたり1年間の環境状態改善を1クレジットとしています。一方で、生物多様性クレジットは、生物多様性の共通尺度化、追加性・永続性の確保、漏出・公平性への対処、そして制度設計・実施・効果測定におけるロバストな基準やガバナンスの欠如といった課題を抱えています。
金融機関の役割
TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)が求めるように、金融機関は自然資本回復への資金流入強化において重要な役割を果たします。自然資本の損失はシステミックリスクとなり、投融資先企業のバリューチェーン全体で収益悪化を招く可能性があります。このため、金融機関には以下のような具体的な役割が期待されます:
- 取引先企業へのエンゲージメント強化
生物多様性クレジット購入や活用を推奨し、企業が自然資本リスクに対応するための行動を促します。 - 発行・募集支援
自身の顧客ネットワークを活用し、生物多様性クレジット発行プロジェクトや募集活動を支援します。 - 投資手段としての活用
生物多様性ファンドやプライベートアセット投資など、新たな投資機会として生物多様性クレジットを組み込むことで、ポートフォリオ全体の持続可能性を高めます。
これらの活動は、生物多様性クレジット市場の成長だけでなく、金融システム全体で自然資本リスク管理を進展させる基盤となります。
金融機関にとっての課題
- 科学的根拠に基づく価値評価
生物多様性クレジットの価値は、生態系回復や保全効果など具体的なアウトカムが科学的に計測可能であることに依存します。そのため、高度なデータ分析能力や専門知識が求められます。特に事前・事後評価による実効性確認が重要です。 - 信頼性確保と透明性向上
カーボンクレジット市場で問題となったように、生物多様性クレジットでも実効性への疑念が市場信頼を損ねるリスクがあります。このため、第三者機関による評価や透明性確保が不可欠です。 - 地域特有の課題への対応
生物多様性は地域ごとの特異性が大きいため、一律的な評価方法では不十分です。地域特有のデータやモデル構築能力が必要となり、それらを反映した包括的リスク分析が求められます。 - 長期的視点でのポートフォリオ管理
生物多様性保全効果は短期では測定困難であり、中長期的な視点でポートフォリオ全体に統合する能力が必要です。これにはTNFD開示情報と連携したリスク管理体制が重要です。
これら課題への対応には、金融機関自身が専門知識を深めるだけでなく、外部専門家との連携や新技術導入も必要です。また、生物多様性クレジット市場の成長には市場参加者間で共通認識を形成し、信頼できる基準や枠組みを構築することも重要です。金融機関として、この分野への積極的な取り組みは、自身の収益安定化だけでなく社会的責任遂行にもつながります。
参考文献
- Sven Wunder, et al. (2024). Biodiversity credits: learning lessons from other approaches to incentivize conservation. Preprint. https://osf.io/preprints/osf/qgwfc_v1
- TNFD. (2023). Recommendations of the Taskforce on Nature-Related Financial Disclosures. Taskforce on Nature-related Financial Disclosures (TNFD). https://tnfd.global/wp-content/uploads/2023/08/ Recommendations_of_the_Taskforce_on_Nature-related_Financial_Disclosures_September_ 2023.pdf
- Tom Swinfield, Siddarth Shrikanth, Joseph W. Bull, Anil Madhavapeddy & Sophus O. S. E. zu Ermgassen (2024). Nature-based credit markets at a crossroads. Nature Sustainability, Volume 7, 1217-1220. https://doi.org/10.1038/s41893-024-01403-w