生物多様性の恩恵:民族植物学情報で生態系サービスを可視化
生物多様性保全の重要性を、一般の人たちに理解してもらいたいときに、生物多様性の経済的な価値(自然資本としての価値)を理由にすることがあります。
人間社会にとって生物多様性は重要な資源を供給してくれる、という説明です。
しかし、このような説明は、環境問題に懐疑的な人たちに批判されることもあります。人類が実際に利用している生物資源は、地球全体の生物多様性のごく一部に過ぎない、という反論。
ですので、科学的データに基づいて、「生物多様性の価値」を科学的に定義する生態・経済学的な研究は、生物多様性保全の重要性を、広く一般の人たちに理解してもらうために、今もって重要です。
そのような観点から、まずは生物多様性の価値を可視化することから始めよう!ということで、日本の植物に焦点を当てて、民族植物学的な情報を網羅的に収集して、有用植物種の地理分布を地図化をしてみました。
この記事の元になった論文の解説は、以下のプレスリリースにもありますので、こちらもご覧ください。
https://research-er.jp/articles/view/90138
有用植物種数のホットスポット
現在の日本に分布している全ての維管束植物種について、日本やアイヌや琉球の人々が、植物をどのように利用してきたのかを調べて、資源植物種(有用種)のデータを作成しました。
そして、有用種を用途ごとに、木材種、工芸品種、食用種(果実)、食用種(茎や葉)、薬用種に分類して、各用途の有用種数を地図化して、有用種のホットスポットを明らかにしました。
この結果がとても興味深いです。
以下の地図は、木材あるいは木工芸品に利用される種、つまり有用樹木の種数マップです。
そして、有用樹木の種数のホットスポットがどのような要因に関係しているのか、分析してみました。気候要因(最低気温・降水量)、土壌環境(土壌の酸性/アルカリ度)、標高、人口や土地利用などの人為影響(HII:Human Influence Index)を説明変数にした、単純な重回帰分析です。
以下、モデル式です。有用(植物)種数の地域的な豊かさに、最低気温、降水量、土壌PH、標高HIIが、ポジティブに関係しているのか、ネガテイブに関係しているのかを検証しました。
有用種数 ~ f(最低気温、降水量、土壌PH、標高、人為影響指標HII)
結果は以下のようになりました。
横軸は説明変数の名前、縦軸は標準化偏回帰係数です。
木材種や工芸種の種数は、最低気温と年降水量や標高およびHIIとポジティブな関係(正の係数)、土壌PHとネガテイブな関係(負の係数)です。
つまり、温暖湿潤で酸性土壌で高標高、そして人為影響HIIの大きい地域において、種数が豊かです。
次は、食用種(果実)の種数マップを見てみましょう。
果実食用種は、温暖で酸性土壌で高標高の地域において豊かです。そして、やはり人為影響HIIとの相関が強いです。
次は、葉や茎を食べる植物(主に草本)、食用種の種数マップです
食用植物種は、寒冷・湿潤・高標高なところで、種数が豊かなことがわかります。そして、やはり人為影響HIIとの相関が強いです。
次は薬用種の種数マップです。
薬用種は、物理的な環境要因との相関があまり高くないのが特徴です。一方、特徴的なポイントは、アルカリ土壌という特殊な条件で種数が豊かなことがわかります。そして、やはり人為影響HIIとの相関が強いです。
最後に、植物種の分子系統情報をもとに、現在、作物種として利用されている種と系統的に近縁な植物(将来的に作物種を開発するための遺伝資源ともみなすことができる植物)の種数マップも作成してみました。
作物近縁種は、高温で乾燥した、高標高のアルカリ土壌に多いことがわかります。そして、これもまた、人為影響HIIとの相関が強いです。
有用植物種のホットスポットの地理分布は、用途を通して、人為影響HIIとの相関が強いのです。
生物多様性のサービスと人間社会のつながり
有用植物種数の豊かさと、環境要因や人為影響の相関関係を因果関係として検証するのは困難です。しかし、以上の分析結果を見ると、いろいろ面白そうなことを考察できます。
まず、有用植物の種数マップを見ると、日本の歴史的に人口が多かった地域(近畿、東海、関東地方)と重なっているように見えます。この空想を元にすると、2つの仮説が考えられます。
仮説1)有用な生物資源が多様なほど(生物多様性資源が豊かな地域ほど)人が集落を築いて町や都市を発展させることができた。
仮説2)人が集落を築いて町や都市を発展させる過程で、その周辺地域で利用できそうな有用な生物種を探索するから、人と有用生物種数の結びつきが生まれた。
皆さん、どっちだと思いますか?
どちらのシナリオもあるのでしょうね。
生物多様性の価値を科学的に主張したい生態学研究者は、仮説1が好みでしょうか?
あるいは、文化人類学の研究者の皆さんは、仮説2が好みでしょうか?
いずれにしても、生物多様性が持っている自然資本としての価値が、人間の文化に密接に関わっている状況証拠にはなるのでしょう。
細かな点で面白そうなことは、日本の有用植物の分布には標高が強く関係しており、植物由来のサービスは山地で顕在化することです。
最後に、このような分析の展望についてです。
マクロ民族植物学的アプローチ
生物多様性保全の重要性、もっと言うと、その必然性を示すには、進化的に形成されてきた生物多様性に関わる人類の応答(適応進化)を明らかにして、究極的には、それが人間社会の形成に関わった貢献度を定量する必要があると思います。
そのような動機から、植物種の地理分布や系統情報と民族植物学的な情報を統合することを思いつきました。
私たちは、これをマクロ民族植物学的アプローチと命名しました。
つまり、人間が利用する植物種やその利用特性に関する民族植物学的情報は、「人類が生物多様性資源をどのように賢く利用しているのか」を示しています。
植物種の分布は環境に制御されるため、植物多様性のパターンは地理的に変異します。例えば、植物種数は熱帯で豊かで、温帯や寒帯になるにつれて種が入れ替わり種数が減少します。
このような植物種多様性の地理的パターン(緯度勾配)は、各地域に暮らす民族が資源として利用する植物種や利用様式にも影響を与えているでしょう。
したがって、民族植物学的情報をマクロスケールで比較することは、地域の植物種多様性に応答した人類の植物資源利用の適応進化を理解することにつながるかもしれません。
本記事の元になっている論文など
https://link.springer.com/article/10.1007%252Fs10531-020-01974-y
基盤研究(B) 飯田 卓(代表)マダガスカルにおける森林資源と文化の持続 ―民族樹木学を起点とした地域研究.