

合理的な選択の価値と気候・自然対策の評価についての考察(ファイナンスシリーズ第8回)
執筆者: Tuyoshi hatao
TNFD開示が進行すると、投資家は企業の気候・自然対策の具体的な施策についてのより詳細な情報を得ることができ、投資判断に活用することが求められます。投資判断においては、さまざまな施策が生むであろう経済的な効果を定量的に判断することが必要です。本稿では、事業や企業の価値の中で重要な「経営上の選択」の価値と、特に気候・自然対策の分野でその価値を生むために必要な条件について考察します。
オプション:選択できることの価値
オプション取引は金融取引の一種であり、将来のある時点で、予め決めておいた条件で何らかの行為をする「選択権」を売買するものです。たとえば、1カ月後に1ドルを150円と交換する権利を今日取得した場合、1カ月後の為替レートを見て実際に交換するかどうかを決められます。買い手は1カ月後に1ドルが150円よりも安くなった場合のみ交換を実行すれば良いので、必ず交換の差額としてプラスの価値を得ます。つまり、選択権には価値があり、買い手はこの価値の平均値に相当するオプション料を支払います。
この仕組みは住宅ローンや生命保険など、身近な金融商品にも組み込まれています。たとえば住宅ローンでは、満期前に繰り上げ返済ができる「選択権」があり、固定金利で借りていた場合、市場金利が低下すれば繰り上げ償還によって将来の利払い総額を減らすことができます。これは借り手がオプションを持っている状況であり、実際に借入時の金利設定にはこのオプション料が上乗せされています。
事業におけるオプション
経営の現場では事業環境や市場の変化に応じて様々な選択肢が生まれます。変化に応じて調達戦略を変えたり、新事業へ参入したり、既存事業から撤退したり、そのような選択によって確実な利益を生むことも可能です。いわばこの「後出しジャンケン」は誰から買ったわけでもなく、経営上元々持っているいわば資産です。この資産価値を積極的に評価するアプローチが「リアルオプション」と呼ばれます。
たとえば、製造業の調達戦略でリユースやリサイクルを導入し調達の選択肢を増やすことで、原材料の調達コストが上がった場合にリユースやリサイクルを選ぶオプションが生まれます。このオプション価値を考慮すれば、リユースやリサイクルの導入が資金調達コストの低減につながり企業価値を向上させます。
自動車のカーボンニュートラル化におけるマルチパス戦略、すなわちバッテリー車一択ではなく、燃料電池や水素燃料、ハイブリッド車、代替燃料を用いたエンジン車など、様々な選択肢を併用し、将来の発電状況や新規燃料の技術開発、生物多様性への影響に関する不確実性に対応できるオプションを用意することは、事業価値向上につながるリアルオプションといえるでしょう。
リアルオプションを意識した事業価値向上は資金調達ストーリーに直接的なメリットがあるので、インパクト投資のような保全事業の設計にリアルオプションの考え方を適用することで有利な資金調達につながる可能性もあります。
経営上の選択権が実際に価値を持つには、以下の条件が必要です。
- 選択肢が発生する可能性が高いこと
- その選択から得られる価値が大きいこと
- 実際にその選択を取るための合理性が経営者にあること
気候・自然対策がオプション価値を生むための条件
気候・自然対策の領域において、それぞれの条件を考えてみましょう。
まず1番目の選択肢の発生確率については、自然関連の不確実性が増大していることから、経営上のオプションを活用できる状況は増えていると言えるでしょう。
2番目の条件、選択からの価値については、活動の経済的な付加価値を比較可能な形で評価することが重要ですが、対策の目標がその事業への投入リソースの量で測られたり、森林の面積の増大や温暖化ガス削減量などの環境へのアウトプットの量で測られたりすることが多く、対策の結果として企業の収益の増大に結びつくのかがわからない事例が多いのが現状です。今後は、例えば一定のアグロフォレストへの転換を通してどの程度パーム油の生産が中長期的に変化するのか、それが企業業績にどのように反映されるのかをシナリオ分析するなど、経済価値ベースの評価が必要です。このとき、全ての農地がアグロフォレストへの転換が可能とは限らないなど、環境技術には理論上の限界や適用範囲があるのですが、技術の適用限界や実現可能性についての考慮が甘いと経済価値の付加価値を過大評価してしまうことに注意する必要があります。
3番目の条件、合理的な選択に関しては、適切に計測された判断材料を用いて積極的に活動の方法を調整するためのガバナンス体制が確立していることが求められるでしょう。例えば、水産資源管理において漁獲割当を計画する場合に、気候変動などによる漁獲量の変動が近年高まっており、モニタリングと割当の継続的な調整をより積極的に行わなければ、持続的な漁業は営めません。同様に、熱帯雨林を含む保全プロジェクト一般において、効果検証が甘かったり、効果を最大化するような積極的な運営が行われていなければ、保全活動の価値を損なうことになります。
まとめ
リアルオプションのような経営に関する概念が気候・自然対策においても重要なのは、インプット(労力やコスト)でもアウトプット(自然に及ぼす影響)でもなくアウトカム(経済的な付加価値)で評価するマインドが、社会のファイナンス機能を通じた資金の導入には不可欠だからです。たとえば熱帯雨林の保全プロジェクトは、単に森林の生態系の回復よりも、その結果としての農産物の持続的で安定的な増産を目標に掲げた方が生産者と投資家の合意を得やすいでしょう。その上で、リアルオプションの発想は農産物の増産を通した経済的価値をより高めることに役立つのです。
リアルオプションの価値を最大限に活かすには、企業が気候・自然対策の選択肢を経営戦略として明確に認識し、意図的に設計することが不可欠です。さらに、こうした柔軟性や将来対応力の意義を投資家や取引先など外部ステークホルダーに積極的かつ正確に伝えることで、企業の成長可能性やリスク対応力に対する評価が高まります。リアルオプションの価値を実現するためには、企業と投資家が気候・自然対策の選択が生む経済的価値を正しく評価する必要があります。リアルオプションの価値を可視化し、社内外で共有することが、資金調達やパートナーシップの強化、そして持続的な競争力向上につながります。この姿勢こそが、変化の激しい環境下での持続的成長と社会的信頼の獲得に不可欠です。
参考文献
- Rodrigo-González, A., Grau-Grau, A., & Bel-Oms, I. (2021). Circular Economy and Value Creation: Sustainable Finance with a Real Options Approach. Sustainability, 13(14), 7973. https://doi.org/10.3390/su13147973