イリオモテヤマネコ:その偶然と必然
西表島は、ネコ科の動物が生息する島として、世界で最小の島です。以下のグラフに示したように、ネコ科の種のほとんどは、大陸に分布しています。グラフの横軸はネコ科の各種の体の大きさ(体重)で、縦軸は各種が生息している面積です。
イリオモテヤマネコは、ネコ科の中も体重が小さくて、小さな島に分布していることがわかります。ちなみに、トラはかつてバリ島にも生息していたのですが、バリ島のトラは、今では絶滅してしまいました(グラフの黒丸の×印)。
なぜ、西表島にはイリオモテヤマネコが生息しているのでしょうか? 二つの仮説を元に考えてみます。
一つ目は生物地理学に基づいた「歴史的な偶然性による分散制限仮説」です。なにやら難しく聞こえますが、この仮説の言わんとすることは、とても単純です。つまり、ヤマネコが西表島に分布しているのは、「単なる偶然で、西表島へ分散できたから」ということ。
生物の分布は分散によって拡大する。なので、うまく分散できた場所には分布できるし、たまたま分散できなかった場所には分布できない。生物の分散は、地理的な条件に左右されるので、島のように隔離されている場所への分散は、確率的な運・不運がある。これはイリオモテヤマネコに限ったことではありません。様々な生物種の地理的分布を見ると、環境条件が同じような地域にも関わらず、分布していたり、分布していなかったりすることは、よくあることです。最近では、このような確率的な分散の成功と制限が、生物多様性のパターンに(私たちが予想する以上に)大きな影響を与えていることがわかってきました。
しかし、一般の人からすると、この仮説はおもしろくないでしょうね。「西表島にヤマネコがいるのは単なる偶然」と言われても「答えになってない」と思いますよね。ドラマチックな理由を期待する研究者にとっても同様で、何だか腑に落ちない。なので、二つ目の仮説を紹介します。
生物の分布を環境条件との結びつきを通して理解しようとする生態学の仮説に「生態系間のエネルギー補償仮説」があります。この仮説は、動物にとっての「生息環境の多様性の価値」に着目します。
島の場合、面積が小さいので、森林のような植物群集が生産するエネルギーの総量は(大陸に比べて)どうしても小さくなります。したがって、食物網(生物の食う食われる関係)の最上位に位置するネコ科動物は「利用可能な餌資源の量」がそもそも不足しがちで、小さな島に生息するのが難しいのです。
西表島には小さいながらも、多様な生態系があります。山地の原生的な森林、伐採跡に再生した二次林、沿岸域のマングローブ林、平地の水田周辺などです。これらの生態系は異なる特性をもつ植物種で構成され、季節的な葉・花・果実の消長時期に違いがあります。このような生態系の植物群集が光合成で生産した有機物が、島に生息する全ての動物の餌資源、つまりエネルギーの基盤になります。
植物の生産物(葉・花蜜・果実など)を餌として消費する昆虫、あるいは一部の哺乳類などの植食性動物、さらにその動物を捕食する両生類や爬虫類などの肉食性動物、あるいは落葉など生物遺体を餌とする土壌動物や一部の甲殻類などの腐食性生物が、西表島の生物間の食物網を形作っています。
生態系の多様さは、ヤマネコの餌資源の質(メニュー)を多様にします。さらに、様々な生態系の間でのエネルギー生産の違いは、ヤマネコの餌資源を時間的に安定供給する要因になります。ヤマネコは、ある時は、原生的な森林で採餌をし、ある時は、マングローブ林で、またある時は、水田周辺で採餌をする。多様な生態系のおかげで、時と場所に応じて、都合よくエネルギーを相補って取得できる訳です。
生態系の多様性、すなわち、動物にとっての生息環境の多様性とは、「エネルギーを補償的に利用できる」という点で重要な価値をもち、結果として、島の生物多様性を高く保つことにも寄与していると考えられます。
実際に、西表島の森の生産量(樹木が光合成でどれくらいの有機物を生産したか?)を野外調査で測定して、西表島が養えるヤマネコの個体数を計算した結果が以下のグラフです。
森林が生産した有機物は、植食性動物(一次消費者)の餌になり、植食性動物は肉食性動物(二次消費者)の餌になります。森林の生産量を測定すれば、その森が最大どれくらいの動物を養えるか推定できるのです。ヤマネコは、西表島の食物連鎖の上位に位置して、様々な動物を餌にしてます。とは言え、ヤマネコが西表島全ての餌動物を総取りすることはできないです。なので、一次消費者と二次消費者の10%、20%、30%を餌にしていると仮定して、ヤマネコの個体数を推定してみました。その推定結果が以上のグラフです。西表島の森が養えるヤマネコの個体数は、85頭から254頭くらいです。余談ですが、トラのような大型のネコ科の場合、西表島は数頭しか養えない、という計算結果になりました。
ヤマネコが西表島に分布する理由には、冒頭に述べた生物地理学的な「偶然」も作用したと思います。一方、ヤマネコが西表島に生息し続けている理由には、西表島の生態系の多様性によるエネルギー補償といった生態学的な「必然」も作用しています。「偶然」と「必然」が生み出した、イリオモテヤマネコなのです。
注)この記事は、2014年1月8日沖縄タイムスに寄稿したコラムを元に加筆改訂したものです。