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金融機関における自然リスク管理のための株式市場下落局面考察(ファイナンスシリーズ第6回)

執筆者:Tsuyoshi Hatao

本稿では、過去の株式市場における下落パターンを概観し、金融機関が自然リスク管理戦略を検討する上での新たな洞察を提示します。市場の下落は、経済構造の修正を伴う「バブル崩壊型」と、比較的短期で回復する「一過性」に大別されるのが一般的な理解です。本稿の特色は、この共通認識を基盤としつつ、近年の自然災害の広域化・深刻化を踏まえ、それが引き起こす市場下落は従来の一過性の枠に収まらず、むしろ「バブル崩壊型」に近い構造的影響をもたらし得るという視点を加える点にあります。この考察が、TNFD等を念頭に置いた、より実効性のある自然リスクシナリオ設計の一助となることを意図しています。

株式市場における下落パターンの分類と特徴

株式市場は歴史的に複数の大規模な下落局面を経験してきました。これらの下落局面は、その原因や回復過程の特徴から大きく二つのパターンに分類できます。

バブル崩壊型と一過性の下落

株式市場の下落パターンは、非常に荒く言えば「バブル崩壊型」と「一過性」に分類できます。不動産バブル崩壊、アジア通貨危機、ITバブル崩壊、金融危機など、資産の過大評価やレバレッジの増大が背景にある下落の場合、下落が終わるまでの期間も長く、下落幅も大きく、回復には相当の時間を要します。このようなバブル崩壊型の下落では、経済構造そのものの修正が必要となるため、回復プロセスが長期化する傾向があります。

一方、コロナ禍、東日本大震災のような災害や、2024年8月の急落のような政策の不透明さ、ブラックマンデーのような原因が明確でない場合は、下落は比較的一時的なものにとどまります。これらのケースでは、経済の基礎的条件に大きな変化がないため、市場は比較的短期間で回復することが多いです。

下落幅とその期間の分析

過去の主要な日経平均株価指数の下落局面における下落幅とその期間を表にまとめると次の通りです:

不動産バブル崩壊は、1980年代後半の過剰な投機と金融緩和を背景に、株価と地価が急激に上昇した後、1989年の金融引き締めと1990年の不動産融資総量規制により急落した典型的なバブル崩壊型の下落局面です。日経平均株価は1989年末の約3万9千円から1992年に約1万4千円まで約63%下落し、その後に複数の下落局面が重なったこともあり、回復には30年近くを要しました。
一方、世界的な災害事象であったコロナ禍では2020年2月から3月にかけて日経平均株価が約30%急落しましたが、各国の迅速な金融・財政政策対応により市場は短期間で回復し、経済構造の大きな修正を必要としない一過性の下落にとどまりました。この局面では、実体経済の基盤が維持され、政策効果によって投資家心理が早期に改善したことが特徴です。

自然リスク分析への応用

これらの株式市場の下落局面分析を、金融機関の自然リスク管理にどのように活用できるのかを考察します。

シナリオ分析の設計と過去の相場下落局面の活用

シナリオ分析(ストレステストを含む)を設計する際には、過去の相場下落局面を参考にすることができますが、どのような状況を表現したいのかを明確にする必要があります。

金融機関のリスク管理において重要なのは、以下の二つの視点です:

  1. 中長期的なトレンドラインとしての中心シナリオの設定(気候変動におけるIPCCやNGFSシナリオに相当)
  2. より短期的な不確実性(増大する災害リスクなど)の表現

過去の相場下落局面の分析は、主に後者の比較的短期的な不確実性を理解する上で参考になります。ここでの短期とはトレーディングの観点等の数ヶ月の短期ではなく、資本計画や経営計画の観点からの数年単位の短期を指します。このような資本健全性の観点からのシナリオは、必ずしも高頻度で発生するものではなくても、高影響なイベントを想定することが重要です。一方で、自然環境の問題は徐々に構造的に不安定化している可能性があり、中長期的なトレンドラインの不確実性以上に、短期的な不確実性が増大していることを認識する必要があります。バブル崩壊型のパターンが示す「安定状態からの乖離と回帰の過程で金融経済システムの修正が必要な状況」という特徴が自然環境のシナリオ設定においても有用となります。

一過性でないシナリオの重要性

自然リスク管理においても、一過性でないシナリオが特に重要です。その理由は単にダメージの大きさだけでなく、そのようなシナリオが経済システムの適応を要求するからです。過去の災害シナリオは、局地的なものであったために一過性で済んだものが多いですが、近年の自然災害は広域化・深刻化しており、これまでのような一過性の枠に収まらない可能性があります。
例えば、広域での自然災害がサプライチェーンに致命的なダメージを与えるような状況は、コロナ禍のようなパンデミックよりも、むしろバブル崩壊型の市場下落に近い特性を持つ可能性があります。2008年の金融危機後には金融システムに大規模な修正が行われ、危機の原因となった問題に対処するためにバーゼル2.5が2011年末から施行されたように、深刻な自然災害後にも経済システムの大幅な修正が必要になる可能性があります。

シナリオ分析の解像度と設計上の考慮点

解像度の重要性

過去の下落局面から内部の因果関係を詳細に導き出すのは難しい場合がありますが、将来の下落局面を設計する上では、業種ごとの違いやアセットクラスごとの反応の違いなどを仮説に基づいて想定することが有意義です。
特に自然リスクに関するシナリオでは、特定のセクターや地域が不均等に影響を受ける可能性が高いため、この「解像度」の考慮が重要になります。例えば、気候変動の物理的リスクは沿岸部や特定の農業地域により大きな影響を与える可能性があり、移行リスクは炭素集約型産業により大きな影響を与える可能性があります。

新たなリスク要因の考慮

金融経済的なバブル崩壊だけでなく、過去は局地的だったために一過性で済んだ地政学的要因も、ブロック経済への移行のような広域の問題であれば構造的要因になりうることを認識する必要があります。同様にティピングポイントを超えつつある自然環境の問題も、より広域での影響を及ぼす可能性があります。これらの新たなリスク要因は、過去のパターン分析だけでは捉えきれない部分が多く、特に注意が必要です。
重要なのは、「過去起こったことがないことが将来起こる」という前提でシナリオ分析を行うことです。過去の市場下落パターンは参考になりますが、自然リスクの文脈では前例のない複合的なリスクに備える必要があります。

結論:金融機関の自然リスク管理への提言

金融機関がTNFDなどの枠組みに基づく自然リスク開示を準備する際には、過去の株式市場の下落局面分析が重要な参考となります。特に、下落のパターン(バブル崩壊型か一過性か)とその回復プロセスの違いを理解することで、より現実的かつ包括的なシナリオ分析が可能になります。
自然リスク管理においては、一時的なショックだけでなく、構造的な変化を引き起こす可能性のあるシナリオに特に注意を払うべきです。また、セクター別・地域別の影響の違いを考慮した高解像度のシナリオ設計が重要です。
最終的に、効果的な自然リスク管理は、過去のパターン分析を参考にしつつも、前例のない複合的なリスクに対応できる柔軟なアプローチを必要とします。TNFDのような開示枠組みへの対応は、単なるコンプライアンス対応にとどまらず、金融機関の長期的なレジリエンス強化につながる戦略的な取り組みとして位置づけるべきでしょう。